*** 2004年7月6日(火)〜6日目、神様と仏様 ***
前半戦の最終日、10時にチェックアウト。伊丹空港へのシャトルバス乗り場と時間を確認し、荷物を預けて地下鉄に乗る。京都ではバスより電車の最低料金のほうが高いようだ。
母は食べ物よりその場所でしか手に入らないような思い出の品を土産にと所望していた。前日訪れた金閣のある鹿苑寺で偶然ひらひら目の前に落ちてきたモミジの葉を拾ってきたが、シンデレラじゃあるまいしさすがにこれで済ませるわけにはいかない。そういうわけで、この日は土産を求めて老舗巡りをすることにした。
烏丸御池駅で降り、まずは遅めの朝食のため京都の老舗喫茶店イノダコーヒに向かう。途中で京都文化博物館の横を通りかかるとき、見覚えのあるポスターが目に入った。東京で見逃した『新選組!』展である。後で寄ろうと決めて店に到着。「コーヒー」ではなく「コーヒ」なところは、レトロというより単なる個性と感じるべきなのだろう。
それから、すぐ近くにある老舗にほひ袋専門店の石黒香舗に入る。着物姿のおねえさんたちが、その場で袋詰めをしてくれる。
そして『新選組!』展へ。あまり期待をしていなかったのだが、「検証・池田屋事件」が面白かった。主に永倉新八の筆記をもとに一連の流れを再現している。有名な事件な割に残された情報は少なく、また記述に食い違いが見られるらしい。この展示では、それらを並列して示すことで検証を試みていた。
次に、お昼は創業530余年という驚異的なソバ屋・本家尾張屋で宝来そばを食べた。出雲で食べた三段割子そばとつくりは同じで、ソバが五段になっており具が豊富。
歩いても良かったのだが、あまりの暑さに負けて電車で一駅移動し京都市役所前駅で降りる。1663年創業の文房具屋・鳩居堂でレターセットを買い外に出ると目の前に本能寺があったので、寄ってみた。こんなメジャーな寺が何気なく商店街の中にあるとは。この本能寺は再建されたもので場所も織田信長が死んだところではないが、その墓所はここにある。ついでに宝物殿も覗いた。それから商店街に戻り、少し歩いて大西京扇堂でオリジナル扇を買う。
「なんやねん(何だか海外でブランド物を買いあさるOLさんみたい)」
イルカが呆れたようにぽつりと言い、神様も苦笑いする。
「後半戦もあるのだから、もう少し節制したほうが良いぞ」
つかいすぎないようにとお金を財布に全部は入れずにおいたのだが、気がつけばその残額はかなり寂しくなっていた。残り時間は少なかったものの、わたしは観光路線に戻ることにしてバスに乗った。
前日に通り過ぎた二条城に行ってみようと思ったのだが、降りてみてびっくり。
「休城日」
そんなものがあるのか。あまりに珍しいので、思わず写真に撮ってしまった。
それにしても暑い。二条城で肩すかしをくらったこともあり、これ以上どこかに行く気力も失せた。駅で時間までお茶でも飲むか、と思ったとき、土産に埋もれた背中の神様が言った。
「東寺なら駅から近い。歩いて行けるぞ」
バスでターミナルまで戻り、歩き出す。駅前の土産もの屋街を突っ切ったので多少は涼しかったが、やはり蒸し暑い。それから車通りの多い道に出てしばらく歩き、ようやく東寺へ到着した。
もうずいぶん前のことだが、司馬遼太郎の『空海の風景』と映画『曼陀羅/若き日の弘法大師・空海』で空海に興味を持ち、真言宗のことも少し読んだことがある。東寺は総本山の高野山金剛峯寺と双璧をなす真言宗の道場のようなものだったと聞く。
この寺はとにかくすごい。金堂・大師堂・五重塔は国宝。さらに重文の講堂内に密集する仏像のすべてが国宝か重文。金堂内の仏像もすべて重文。めまいがしそうだ。
と、講堂中央にある大日如来(重文)と目が合った。
「おこしやす」
福々しいというのとはちょっと違う。すべてを見通したうえで許してくれたような視線、とでも形容すればいいのだろうか? しばし見入った。
キリスト教圏の人にとっては、仏様はキリストというより聖母マリアに近い存在なのかもしれない、とふと思った。
神とは何か。仏とは何か。その答えが簡単に出るなら哲学も神学もいらない。ただ、日本の神様と仏様についてわたしが漠然と感じるのは、人は人間と神様の間に仏様を置いたのではないだろうか、ということ。うまくまとめられないのだけれど。
そうそう、大日如来の名誉のために言っておく。後でパンフレットを見るにつけ思うのだが、実物はこんなに人相(仏相?)が悪くはない。
東寺の池にはカメがわらわらいた。無類のカメ好きなわたしは時間ぎりぎりまで池にへばりついていた。ご覧ください、こんな小さい石の上に集まって甲羅干ししてますよ甲羅干し!
東寺からバスで京都駅へ。そこからシャトルバスで伊丹空港へ行き飛行機で羽田に戻った。帰宅は10時頃。前半戦終了である。